東日本大震災からおよそ3年。
未曾有の大災害はテレビや映画など数えきれない無数のドキュメンタリー作品を産み出しました。
極限状況にいち早く飛び込みカメラを回したもの、長期間撮影を続けたもの、あえて被災地に行かなかったもの…
作り手の数だけ多様な震災への関わり方、そして葛藤があったはずです。
東日本大震災はドキュメンタリーの作り手たちにどんな問題を投げかけたのでしょうか―。
3年後の今だからこそ、様々な立場のゲストを迎えて話し合います。
開催日時:2014年2月8日(土)13時30分〜15時30分 編集:加瀬澤充 撮影:清水哲也
「希望」「絆」という言葉が伝えたもの
加瀬澤:聞いてみたいんですが、例えばNHKでは、ある種キャンペーンとして「希望」とか「絆」とか、そういうのが一時ワーッと拡がった時期があったという感じがするんですけど、その辺は皆さんは、どうお考えになりますか?
大野:現場の気分だけで言うと、「希望」とか「絆」とかいう気分で、もう二周とか三周とか四周とかしているので、何か一方的にそのことをある時期にキャンペーンとしてやられても、共感できないコミュニケーションですよねという、「希望」も感じてるし、「絆」も感じてるし、でも何て言うか、耐え難い断絶もあるし、なので色んなコミュニケーションの中の一つとして、「絆」っていうのがあってもいいとは思いますけれど、ただ、…だからコミュニケーションのひとつとしてあってもいいと思いますけれど、ぐらいのことでしかないんじゃないかなと思いますし、圧倒的な現実はまだまだ、何て言うか、重苦しい現実があるので、中々その気分にはなれないというか、あ、現場ではなれないというか、ということかもしれません。
だから、今、国分さんがおっしゃっていたように、どこに向けてそれを発信しているのかということでいうと、僕がたまたま被災地に近い仙台という場所で2年半いる3年いるときには、そのことのキャンペーンについてどうかと言われたら、ああ、そういう日もあったよねというぐらいのことでしかないと。
池谷:僕はね面白いと思うのはね、Nスぺなんかの中で「絆」なんて言ったら、馬鹿やろうっていう風に思うんだけど、ただ一方でね、あの、ほら演歌歌手なんかが、被災地に訪ねていって、色んな人に会ってね、最後に一曲コンサートをやると、何か現地の人達みんな涙流して喜んで手を握ってるでしょ。あの時ほんとに複雑な思いになるね。
やっぱりそういうテレビっていうものには、そうやって癒しを与えて行く力もあるんだなと思ったりするわけですよね。
場合によっても、「絆」って意味、使われ方って変化するというか、そういうところがあるんじゃないですかね。
加瀬澤:ドキュメンタリーにも、そういう圧力があるようなきがするんですけど、その辺のところ松江さんどう思いますかね。
松江:僕はだから、今もお話聞いてて思ったんですけど、多分、作っている1人1人とか、例えばそれは、僕は、例えばテレビをやってる方たちと映画の人って僕は全然違うと思うんですよ。撮っている機材が一緒だったり、まあ究極的には近いところがあると思うんですけど、見られる過程が全く違うものなので、テレビをやってる方たちはほんとにこう、何て言うんですか、ある種、僕らからするとすごく届く人数が大きいわけだし、映画ってやっぱり見るまで時間がかかるもの。
お金を払ってもらって、で、こういう暗い場所でみんなが一斉に見るというものなので、つくっている作品を何て言うか、僕は映画ってすごく個人的なもので、何を撮ってもやっぱり作品になってしまう。
作品になるってことは、作り手のさっき松林くんの言ってたエゴっていう部分がすごく大きいと思うんですよね。でもテレビをやってる方たちは、ちょっとそこが違うというか、もちろんエゴもあるんでしょうが、そこだけじゃないというか、伝えるということに対して、映画とテレビって僕は違うんじゃないかと僕は思うんですね。
僕思うのは、やはり、何て言うのかな、作り手は結構個人、個人のパーソナルな部分でつくっているんですけど、見る側がすごく大きなものっていうか、期待するものとか、映像に対して何て言うのかな、何か強いものを求めているという、で、つくっている人は強いものだから怖いものも知ってるっていう人もいるし逆に、あんまりそういうこと考えていないかなっていう方もいらっしゃるし、でも総じて見ている人は強いものとか大きいものっていう風に期待をされているなということを震災の後というか、それは今、特にですけれど、そういうものを求めているんだなというか、そこのギャップを感じて、それが震災後より強くなったという気はします。
山崎:ちょっと是枝監督から聞いた話、彼はね、相馬高校、高校の放送部かなんかが自分たちで記録をつくろうといって自分でめいめいカメラを持って記録しようっていうんで、それを指導というか監修みたいな形で来てくれと言われて、それを手伝ったらしいんですけど、その時に彼らが出してくるものとか、全部今言った、「絆」、「希望」、被災地によりそうとか、そういう形。それは全部一般的にNHKか民放とかテレビの中で、すごく、「がんばれニッポン」とか色んな形で出てきた、そういう心地よい言葉がありますが、そこにやっぱり落ち着くもんだと、なんか思っちゃってるみたいな、そういう空気が作り手の中に番組をつくって行く過程の中で、見る側もつくる側も何かそういう空気にインフルエンザのように。
松江:何かこう、反応せざるを得ないというか、それはやっぱり、なんていうんですかね、僕のそういった言葉をテレビで聞かれる場合と、あと例えばですけど、僕、「トーキョードリフター」というのをつくっているときにタクシーのうしろに「ニッポンがんばろう」って、あれがすごく気になって、カメラマンに撮ってくれ、ワンショットで入れてくれって言ったんですけど、やっぱりその何か、外に向けて発しているものというか、あの時コンビニでもそういった言葉がすごく出してたし、でも、それは個人的なもので、何か色々ゴチャゴチャするんですけど、でも映像にはそういったものが求められてるなっていうのは、思いますね。
今、若い子がはじめてカメラを持つのに、やっぱその「「絆」」ってこととか、あとなんて言うんですか、ナレーションで私が話しているとき、「我々」とか「日本」はとか、すごく、よく考えると、それ誰が言ってるのっていう言葉とか、
安岡:すごいやばい状況だと思いますよね。あの、それはそれで被災地のことで言うと、南三陸に去年行った時に、ちょっと仮設で色々お話を聞いてたら、慰問の人達が来てね、でももう誰もいかないんですよ。
だけど世話やきの人が誰もいかないと申し訳ないんでというんで、寒空の中、東京の町田市から来た太鼓の同好会のね、太鼓を聴く。
でも、その状況って何かって言ったら、今、取材されている方はよくご存知だと思いますけれど、仮設の状況って何かものすごくこう、きびしいことになってる。
まあ、生活の実態そのものも、ほんとにきびしいし、やっぱりあのほんとの仮設の家で暮らしていくことのきびしさとかって、それこそ「希望」とか「絆」とかと真逆の現実がですね、僕はどんどん進行しているようにしか見えない。
で、復興事業ってほんとにね、あの今、大槌のやつをやっているんですけどね、三陸沿岸に14メーター以上の防潮堤を張り巡らせるなんていう大変な公共工事が今、動いているんですけどね、これ豊かな三陸沿岸をほぼ破壊しつくすっていう、可能性すら感じられる。
で、そこで暮らしてた漁師さん達どうするんだっていうと、ねえ、言うとこう、「希望」とか「絆」とかということと全く真逆のね、そういう現実がある。
で、だからこそね、皆さん、石川さゆりが来たら大喜びなんですよ。
で、もうなんか、嫌な話聞きたくないっていうね、さんざん反対して、つくんないでくれってあんだけ言ったのに、工事始まっちゃうんだ、みたいな時に、その町を出る人はもうみんな出て行った。
もう暮らしていけないからね。仕事がない、住むとこない、みんな出て行った。
だけど、そこに生きるしかない人達が何とか歯を食いしばって生きてる。
で、彼らの中には、ほんとにそういう「希望」が見えない。
だから楽しい話にしてよ、楽しい話聞かせてよ、っていう風にシフトしていると思うんですよ。
僕は放送のこと詳しくないですけど、震災に絡んでの番組の視聴率ってそんなに高くないですよね。
映画で言うと、震災関連の映画のお客さんの入る率ってほんとね、ね、やんない方がいいんじゃないかと思ったりするぐらいきびしかったりするんですね。
ということは実は被災地の現実っていうのは、決して被災地に留まることではなくって、つまり、ある種日本の国家の中にある種ほんとに大きな影響を及ぼしている、そう言う構造があるっていう風にね、僕は思うし、だから僕らが、これからやんなきゃいけないっていうのは、その構造に対して、どう、くさびを打つか、どう、その実態をさらしていくか、っていう多分そういうことを色んな領域、それはテレビとか映画とかネットとか、そういったその領域に関わらず、やっぱり伝えようとする人間、表現しようとする人間というのは、そこを打っていかないと、あのう、僕、昔使っていた言葉を思い出してね、あの「権力」っていう言葉ですよね。「国家権力」っていう言葉。
最近しばらく使ってなかったんだけど、えーと、そこにいる、足立さんの顔を見ながら、やっぱしそこと、どう切り結ぶかということなんじゃないかなというのが、最近の実感ですね。
池谷:おっしゃるとおりだと思いますよ。
あの、だからね、やっぱりなにくそって、ほんとに今、震災は風化されてる。
震災の風化がどんどん進んでね、僕はやっぱり、映画もってまわってずいぶん、それは分かりますよ。
全く関心ないとか、復興ぐらいなってると思ってるところもあるからね。
だから、そういう、なにくそってちゃんと思うってことだと思うんですね。
その時にね、例えばメディアが、今のさっきの「絆」論もそうだけど、そういうことに対して、「ふざけるなと、現実は違うぞ」と、でももっと、それは悲惨だというだけじゃなくて、もっと豊かでもあるということでもあったりするわけですよね。
被災地だって、そこには笑いがあるわけで、笑顔がなきゃ生きていけないんだから、それを要するに、どんどん、どんどん、角度を変えた発信の仕方っていうのが、これからどんどんされていってほしいなって気がするんですね。
是枝さんがやった、相馬の監督は、確かにそれ影響が強くて「絆」という言葉を使ったかもしれないけれど、ちょっと変えればね、それに対して反発して「いや、そうじゃないんだよ、地元はもっとこんな風にのびのび生きてるんだよ」それから、防潮堤だって、あんなものは海がなくなっちゃうんだから、そうじゃないもっとじっくり時間をかけて、防潮堤なんかなくても、やっていける省エネ社会をつくろうよって、そういう発信がね、地元からも出来て来るっていうかね、そういうのは、これから待ちたいなって気はしますね。
加瀬澤:大野さんは、いかがですか?今のを聞いて。
大野:「絆」論に関しては、もう何か、現場の感覚で言うと、その「絆」さえも何か、消費されつくしちゃったので、「絆」って言っても番組にならないし、どうするかなぐらいの感じになって、石川さゆりさんが来てくれるんだったら、まあ全国の人も見てくれるかというぐらいのところで、そのパッケージの演出が「絆」だから、しょうがなく相変わらず「絆」なんだけどっていう。
「絆」のこと考えるんだったら、閖上では、まだ41人の人達が行方不明で、毎日ボランティアの人達が、まだ捜索してない側溝を掘り起こしていらっしゃる。
でも、行方不明っていう状況って、2年半何も変わっていなくて、その何も変わってないっていうのをどうテレビにして伝えていくのかっていうことが、すごく難しくて、「絆」っていって番組にさせてもらえるんだったら、こんな有難いことはないっていうぐらいなんですけど、まあ、その意味では、影響はテレビは時々刻々と受けながらあるんですが、先ほどもご質問あったように、圧力があるかっていうと、そうではなくて、もう呼吸をしながら常にそのことを意識してるし、やりたいテーマとその呼吸を何とか合わせながら次から次へと企画を出すし、今、おっしゃっていただいたように僕自身は今は被災地で起きていることは被災地の問題だけじゃないということでしかもう、提案が通らない段階にきているので、僕自身は、まあ、ポスト311の社会、現場から見ていくと未来にヒントが見えるんじゃないかというスタンスで、これまでも医療の問題や政治の合意形成の問題とか、色んな問題があるんですが、そういったスタンスの切り口にしていくことで何とか企画化しているというのが現状です。
加瀬澤:国分さんはどう考えていますか?
国分:基本的に僕は、福島の、さっき「絆」とかあったけれども、私がそこに取材に行き、その場所に僕が1年のうち150日いて、口先の希望を云う人はいたでしょうけど、本音ベースでの「希望」など何一つなかったと思いました。私が取材したのは、「原発20~30㌔圏内に残らざるを得なかった人」が多かったせいなのかもしれませんが、とにかく現場から希望を見出すことが、僕にはできなかった。それを「希望」を無理やり探し出してきて番組を作り放送するのは、間違っているというレベルじゃなくて、僕は罪悪だと思う。
でも一方で、1年目はともかく、震災2年目以降は、そんな希望がない系の番組の企画は通りにくくなっていると思うんですよね。誰が好き好んでそんなの見るんだ、と。そういった言説には大義を唱えても勝てないし、意味はないので、僕ら制作者が何かしらのやり口を見つけ出さねばならないのですが、僕には思いつくことができない。悔しいし、恥じてます。
萩野:「絆」や「希望」というのは、万人が理解できる紋切型の表現ですよね。でも、それは大野さんがおっしゃったように、すぐに消費されてしまう。むしろ消費するための、震災を思い出さないためのものであるような気もちさえします。それが経験の風化に確実につながっているんじゃないかなと思うんですね。
だからこそ映画やテレビの作品は、そういう風化に抗うものを撮らなきゃいけないと思うんです。松江さんがおっしゃったように、例えばこれだけ撮られた映画の中で、瓦礫の風景を車窓から撮ったものや、一本松の風景を収めたもの、そういうものが映像の紋切型として多用されている。これでは、震災経験の風化に抗おうとする映画自身が風化されかねない。非常に危険なことだと思います。
私は冒頭ですべての作品に意味があると言いましたけど、一つ注意しなければいけないのは、分かりやすいイメージを安易に記号化してしまうこと、紋切型として使ってしまうことです。そのことが、「どれも同じじゃないか」と観客を離れさせてしまう大きな要因だと思います。
ですから、池谷さんがおっしゃったように、角度を変えて新しい見方を提示するということが、これから先、あらゆる表現の領域に求められていることだと思います。
池谷:今の話すごく面白くてね、要するに瓦礫と津波の映像を使わないと、覚悟を決めた時に何かが始まるわけですよ。ものすごいとは、そういうものであって、だから、何て言うかな、あの、紋切型を拒否する。
きちんと拒否するってことが、ものすごく大事なことだと思うんですね。
特に、もう3年目ですからね、だって瓦礫の映像、誰も見たくないもんね、もっと違うものを見たい、だからね、国分くんが言ったけどね、「希望」がないところで「希望」を描くのは僕は嫌だと。そういうの、それ逆なんですよ。
「希望」があるところなのに「希望」には目をつぶるっていうつくり方もあるわけで、それもほんとは怖い話でね、やっぱりちゃんと前を向いて行こうという人がいれば、その人をまっすぐ見つめる映画であり番組というのは、やっぱりあってしかるべきだと僕は思います。
【シンポジウムを開催しての感想】
未曾有の災害に直面した時、私達に一体何ができるのだろうか?
昨年、開催したシンポジウムの議事録を読み返すと、あの日から、すでに4年もの月日がたとうとしている現在でも、消えることのない問いが私達に繰り返し突きつけられているような気がした。シンポジウムに参加した人々は作り手の方々が多い。彼らは皆、撮りたいというエゴと、撮ってはいけないのではないかという思いとの間で揺れている。その自問の在り方が、作品の在り方にも大きく影響している。暴力装置としてのカメラをどう扱い、人々と向き合うのか?もしかしたら撮影することで、その人を傷つけてしまうかもしれない。そうした思いに囚われながら煩悶し、カメラポジションを決め、シュートする。それは撮る側のエゴだ…と言えば確かにそうなのだろう。
しかし、シンポジウムに参加した作り手達は、様々な位相でエゴという一方的なコミュニケーションが、対象者が自ら語る相互コミュニケーションへ変わっていく瞬間の喜びを語っている。そのことが作り手の自己弁護になるとは思わない。しかし、そのカメラを通して伝えられる人々の声が、被災地の今を教えてくれる。「希望」や「絆」という耳障りの良い言葉からは見えてこない、厳しい現実をその小さな声は確かに語っている。その声に耳をそばだてねばならぬ。目を背けてはならない。今、本当に強くそう思うのだ。
(座・高円寺ドキュメンタリーフェステイィバル実行委員 加瀬澤充)
(了)